たわむれ

 虎杖悠仁は己の置かれた状況をいまひとつ飲み込みきれずにいた。
 今日は一年三人での任務で、遠方のために泊まりだった。宿泊施設は伊地知が手配してくれた一般的なビジネスホテルをふた部屋、男女で別れて使うことになっていた。
 虎杖と伏黒に宛行われた部屋は、二つのベッドと一つの書物机、それとテレビにワンドアの冷蔵庫のあるごく普通のツインルームだ。虎杖の体格に配慮してくれたのか、ベッドサイズだけは一回りほど大きいもののようだった。
 仕事を終えて夕食をとり、部屋に入った頃には既に十二時を回っていた。備え付けられたユニットバスで軽く汗を流して、二人ともすぐに床についた。
 当然、別々のベッドで、だ。
(いやいやいやいや、なんで?)
 尿意を催して目を覚ました虎杖の目の前にあったのは、隣のベッドに寝ているはずの伏黒の頭だった。自分の腕の中で寝息を立てているその目の下には薄っすらと隈ができており、そう言えばこのところ良く眠れていないようだったと思い出す。
「替われ、小僧」
 頬骨のあたりが開き、宿儺の声が響く。眠る伏黒に配慮しているのか、その声量は常よりも幾分小さかった。
「なんで」
 ぱちりと頬を叩いて黙らせようと試みるが、新たな口が手の甲に開く。
「なんでもだ。いいから替われ」
「ダメに決まってんだろ。オマエ何するかわかんねぇし」
「何もせん何もせん。ここで寝るだけだ」
 説明するのも面倒くさい、という態度を隠しもせずに宿儺は言う。
「……それに」
 この押し問答で布団の中に外気が入り込んだのか、伏黒が身を震わせた。
「コイツが求めているのはオマエではない」
 宿儺の言葉を受けて虎杖が訝しげな表情を浮かべるのと、伏黒の唇が動き小さく声を発したのはほぼ同時だった。
 すくな。
 伏黒の瞼は閉ざされたまま、静かな寝息も立てている。睡眠時の無意識下で紡がれたその三文字が、何を意味しているかなど考えるまでもない。
「……オマエ、伏黒に何したんだよ」
「さてな」
「明日、ちゃんと説明しろ。それなら替わってやる。あ、あと」
「わかったわかった、教えてやるし何もせん。早く替われ」
 軽くあしらうような宿儺の言葉と態度に虎杖は多少の苛つきを覚える。しかし、他ならぬ伏黒本人が宿儺を求めているとするのなら、その身を明け渡すこともやぶさかではないという気持ちも当然あった。
「寝起きの挨拶が済んだら戻る、でいいか?」
「好きにしろ」
「じゃあそれで!」
 宿儺のためではない。伏黒のためなのだ。それならば仕方がない。
 虎杖はその言葉を繰り返しながら自らの意識の底に堕ちる。
 身体の主導権を与えられた宿儺が、やけに大切そうに伏黒の体を抱きかかえて寝所を整えて行く。虎杖はその様子をしばらく伺って見ていたが、やがてうんざりしたように息を吐き、そのまま眠りにつくことに決めた。
(トイレ行くの忘れた……)
 悲しい現実とともに。

 伏黒恵は昨晩自分の身に何が起きたのかを考えあぐねていた。
 朝、目を覚ましたら同級生の腕の中にいた。明確にわかる事実はただそれだけのことであり、それ以上でもそれ以下でもありはしない。
(いや、これは、たぶん俺が悪い)
 そもそも自分が就寝したはずのベッドはここではない。それだけははっきりとわかる。つまり、潜り込んだのはこちらの方だ。
 連日に渡る宿儺からの安眠妨害と、思いの外時間を要してしまった任務の疲れで、寝床に入るなり泥のように眠り込んでしまったことは覚えている。
 問題は、そこから先の記憶が全くないということだ。
「よく眠れたか?」
 必死に記憶を辿ろうとしている伏黒の耳に、予想だにしていなかった声が届く。
 そういえば、目を覚ましてから見ていたのはホテルのルームウェアを着用している胸板だけだ。真っ先に確認するべきは、その顔に浮かんでいる紋様だったと後悔する。
「……宿儺?」
「他に誰がいる」
「いや、虎杖はどうした」
「小僧ならまだ夢の中だ。――昨日、俺を呼んだろう」
 だから替わった、と事もなげに言うの宿儺に、さぁと血の気が引いた。
「ちょっと整理させてくれ、俺がここに入ってきたん、だよな……たぶん」
「そうだな」
「その時は、虎杖だったんだよな」
「だいぶ困惑していたぞ」
「そうか……」
 つまり、昨夜の深夜――明確な時間がわからないため深夜と仮定する――に行われた伏黒の奇行は、虎杖の記憶にはおそらくバッチリ残っているのだろう。
 起こってしまったことは仕方がない。しかし、説明に足るだけの言葉を伏黒は持ち合わせていなかった。どうして、なんで、と言いたげに困惑した表情を浮かべる伏黒の頭に手を置いて、宿儺は口角を上げた。
「一人寝が寂しくなったか」
「そんなわけ……」
「ないと言えるのか。本当に」
 意地の悪い問いかけに、とっさに否定の言葉を吐ききれなかった。