思い思われ

 今日の宿儺は、いつもに比べて幾分と大人しく見えた。いたずらに肌をまさぐることもなく、揶揄するような軽口もない。何よりも、それまでにあった恐ろしいほどの威圧感が薄れている。
 なにか心変わりするようなことでもあったのか、それともそろそろこの営みにも飽きているのだろうか、と、伏黒はその表情を伺って、気づいた。
(……拗ねてんのか、コイツ)
 常であればじっと見下ろしてくる視線は横へとそらされたまま。手のひらに顎を載せ、薄く口を尖らせたその姿は完全に機嫌の悪さのアピールだ。
 伏黒のよく知る騒がしい教師も、よくこんな拗ね方をしていた事を思い出す。こちらに当たり散らしてこない辺りは、宿儺の方がまだできた大人だと思った。
「なんだ」
 じっと観察していたことに気づかれたのか、二対の目が伏黒へと向けられた。発せられた声音は、常よりも幾分か低い。
「オマエでも拗ねたりするんだなと思って」
「拗ねてなどおらん」
 苛立ちを隠しもせずに、再び視線をそらされる。拒絶されているようなその態度が少しばかり癪に触った。
「拗ねてんじゃねぇか。なんかあったのか?」
 なにか、なんて聞かなくともわかりきっている。宿儺と直接接触できる人間など、現状では二人しかいないのだ。毎夜のようにこの生得領域に連れ込まれている伏黒と、宿儺の器本人である虎杖の二人しか。
 伏黒には覚えがない――正しくはなんとなくそれだろうかと思う事がなくもないが、おそらくはその後「宿儺と話をつけてくる」と言った虎杖とのやり取りで、何かしら不愉快なことを言われでもしたのだろう。
 依然だんまりを決め込む宿儺に、伏黒は呆れながらも声をかける。仲良くしろとは言わないが、子供じみた争いや態度だけはどうにかして欲しい。子を設けるような年でも立場でもないのに、世話するこちらの身にもなってくれ。
「宿儺」
「オマエには関係ない」
「関係ないなら態度に出すな。こっちの気が滅入る」
 幾分か大袈裟にため息をついて、ぶすくれたままの宿儺の頬に手を伸ばす。撫でるように触れれば、怪訝そうな視線を向けられた。
「なんのつもりだ」
「何が」
「折角気を遣ってやったというのに」
「だから、何が」
 両手で顔を固定して、じっと目を合わせて問えば、宿儺は観念したように肩をすくめ、口を開く。
 ぽつぽつと話された内容は、伏黒が想定していた通りに「あの夜」の翌日、寮に戻ってからの虎杖との会話についてだった。

「オマエ、圧が強すぎんだよ」
「どういう意味だ」
「そのまんま。俺でもたまにビビんのに、伏黒相手にあれはさぁ、何もしねぇって判ってても構えちゃうだろ。そのくらい考えてやれって言ってんの」
「オマエ如きにくだらん説教などされる筋合いは」
「ある! あるの! オマエがなんかモヤモヤしてんの俺にも透けてんの! 俺まで変な勘違い起こしそうだからやめてくれって」
 協力だけなら考えてやるから、と追加で言われ、宿儺は僅かないらだちを覚える。結局のところ、この器が未だ自分の完全な支配下に置けていないという事実を突きつけられるのが、宿儺にとっての一番の不愉快事だ。
「だから次に伏黒連れ出すときは、もうちょっと穏やかな感じにしてやれよ。そうすりゃ多分、寝れるだろ。伏黒も」
 あの日宿儺と替わってからも、伏黒は朝まで気持ち良さそうに眠っていた。つまり彼の睡眠を阻害しているのは宿儺の呪力の気配そのものではなく、発せられている圧力の違いなのではないかと、虎杖は予想した。
「オマエと伏黒が何やってるかは見ないようにするし聞きもしないけど、伏黒が俺に助けてくれって言ったら俺はもうオマエの事顔にだって出させてやんねーからな」
 それができるのかどうかはともかくとして、少なくとも体の支配権を無理やり奪い取ると言うことが今までより面倒にはなるだろう。
 今の支配バランスで伏黒恵とどうこうしようと思うのならば、癪には障るが虎杖の意見を受け入れるのが最適解だ。
 宿儺は諦めにも似た表情で、ため息をついた。

 虎杖のその指摘はあながち間違ってはいなかったようで、今現在の伏黒は不機嫌を顕にしている宿儺に多少の面倒臭さを感じてはいるが、警戒も緊張もやや解けてはいるようだった。
「あの小僧、知った風な口を」
「……だいたい合ってたんだろ」
「あっているのか? これが?」
「あってる。今ならゆっくり寝れそうだ」
 無論、この先宿儺の機嫌が治るかが安眠のための最初の一歩ではあるのだが。
「……そうか」
「たがら宿儺、少しだけ、寝かしつけてくれないか」
「加減はできんぞ」
「五体満足で命もあれば、なんでもいい。好きにしてくれ」