伏黒恵が宿儺の指を持って姿を消した。
それを五条に知らせたのは、共に回収の任務に就いていた虎杖だった。
「悠仁、それ僕以外の誰かに言った?」
「……まだ」
「どうして」
現場には補助監督も居たはずで、いつ戻るかもわからない人間を待ってずっと黙っていることのほうが不自然だ。きっと何か、思うところがあったのだろうと五条は思う。
「わかんねぇ、けど」
「けど?」
「そうした方がいいと思った。なんとなく」
「そっか。じゃあこの話はここでおしまいね。恵のことは僕がなんとかしておくから」
誰にも言っちゃダメだよ、と念を押して、五条はくるりと踵を返す。なにか言いたげな視線を感じながらも、五条はその場を後にした。
「俺が、これを食ったらどうなる」
常闇の中で、伏黒はぽつりと声を漏らした。
手の内にあるのは、現場から持ち逃げした一本の指。倒した呪霊からこぼれ落ちたそれを手のひらで握り込み、影の中へと飛び込んだ自分を見たときの虎杖の表情は覚えている。その目尻で開いた宿儺の目が、愉しげに細められたことも。
「宿儺」
乞うようにその名を呼び屍蝋の指へと口づけると、伏黒はその場に小さく蹲った。
どうしてこんな事をしてしまったのか、あの瞬間、自分が何を考えていたのかは思い出せない。
封印もされていない特級呪物。影に潜めたところで、六眼には見つけられてしまうかもしれない。そうしたら、一体自分は――否、あの場で自分を取り逃がした虎杖は、それから補助監督はどうなってしまうのだろう。
「つまらぬことを考えるな」
ぐるぐると思考を巡らせる伏黒の頭上から、望んでいた声が降る。視線を上げた先に、複眼と紋様の浮き出たその顔があった。
「ソレはオマエが食ってもどうもならん。この場に置いておけ」
「な、んで」
「何故? あぁ、この姿か。オマエの術式を少し借りたぞ。本体はあの小僧の中だ」
姿が見えるほうが安心するのだろう、と言いながら、宿儺は手を差し伸べる。誘われるように手のひらを重ね、立ち上がった。
そのまま腰を抱かれ、鼻先が触れるほど近い距離で、宿儺の唇が小さく弧を描く。
「人の子と言うのは難儀なものだな。これを奪う直前、お前は何を考えた」
「……わからない」
「違うな。認めたくないのだろう」
細められた二対の目に胸中のすべてを見透かされているような気がして、伏黒は目を泳がせる。
認めたくない。それはきっと真実だ。認めたくない、認めてはいけない、己が内に抱えたこの気持ちは、自己を含めた誰一人として、受け入れらてはいけないものだと理解している。
手の中にある指を強く握り込み、口を開く。否定の言葉などいくらでもあるはずなのに、上手く声には出せなかった。
「俺、は……」
この指が所在不明となれば、虎杖の刑期は多少なりとも延びるだろう。彼の側には名実ともに最強のあの呪術師がいる。同時に、どう足掻いていたところで最終的に奪われて、何よりも先に始末をつけられるのは自分だろうこともわかってはいた。
たかだか二級術師である自分に何ができる。時間が経てば経つほどに、外堀は埋まり逃げ先は塞がれ、追い詰められていく未来に間違いはない。
「何を迷う、伏黒恵」
「すく、な」
低く甘い声が鼓膜を震わせ、肌が泡立つような感覚を覚える。
赤黒いその音に、足元から呑み込まれてしまいたいと、思ってしまった。