箱庭の楽園

「表と裏、光と闇、陰と陽――表す言葉などいくらでもある」
 言いながら、宿儺は左の指先をその影に沈めて見せた。
「異界、異世界。後はなんだ? 鏡像世界、並行……パラレル・ワールドか。要はなんでもいい。全てを(現世うつしよ)に似せる必要すらもない」
 虎杖の記憶から得たであろう知識までをも口にして、宿儺は至極楽しそうに言葉を紡ぐ。
 その右手は、胸部へと添えられたままだ。
「領域の延長のようなものだと思えばいい。呪力が足らんと言うなら、俺がいくらでもくれてやろう」
 影に潜った指先は、いつの間にかその手首までを飲み込んでいる。己の影に入り込んだ異物に身体を震わせながらも、伏黒は未だ言葉を発することが出来ずにいた。
(どうして)
 虎杖は確かに宿儺の抑制に成功していた筈だ。何らかの縛りを結ばれた可能性があるとは聞いていたが、それが発動した様子もなかった。
 それなのに、なぜ、今目の前に宿儺がいるのか。そもそも、二十本目の宿儺の指は、まだ虎杖の中にはない。つまり()()は、完全ではないはずなのに。
「質問には答えてやると最初に言ったろう? 聞きたいことがあるのなら遠慮せずに言ってみろ」
 影に潜った左の手。虎杖の胸に当てられた右の手。伏黒は、その二本の腕だけで全ての動きを封じられてしまった。己の体には一指も触れられていないと言うのに。
 抗う術も隙も、かの王相手に見つけられる気がしなかった。
「……虎伏、は」
 辛うじて発した声は、緊張で枯れて掠れていた。
「オマエ次第だ。伏黒恵」
 愉しげに嗤うその顔が、酷く腹立たしいものに見える。
「俺に、何をさせたい」
「わからんか? ()()に、俺の望むものを作れと言っている」
 埋め込まれた手先が、影の内で蠢いた。無遠慮に流し込まれた呪力の違和感に息が詰まりそうだ。
 どこに。なにを。
 宿儺は影から指先だけを出し、ぱしゃぱしゃと泳がせるような手遊びを始めている。
「作れって……」
 どうやって。
「そう難しく考えるな。小さな箱庭、どこぞの駅で見たようなジオラマのようなものだ。覚えているな?」
「ジオラマ――」
 復唱して、ぼんやりと思い出したのは虎杖と向かった遠方の依頼だ。古びた無人駅の外、改札を抜けた正面に「この街のかつての姿」として展示されていた立体の遠景。
 傾斜の緩い穏やかな山の麓に小さな小川が通っていた。その周辺には小さな家屋の集まりが。山の中腹辺りには、その質素な周辺環境とは似つかわしくない大きな屋敷が配置されていた。
「家屋はひとつ。水場と林程度は欲しいか。あとはお前が好きなものを作って乗せていくだけでいい。仔細は俺が勝手に変えていく。できるな?」
「――やらなきゃ、またその心臓を抜くんだろ」
「そうなるな」
 愉しげに嗤う宿儺に、伏黒は唇を噛み締めた。彼に残された選択肢は、ひとつしか無い。
 自らの影に箱庭を作り、そこに、宿儺と共に閉じ籠もる。可能であれば、虎杖と宿儺を引き剥がした上で、だ。
「わかった、やってやる」
 影が波打ち、その奥行きを拡げていく。
「良い良い、その意気だ」
 呪力の流れも、その考えも、宿儺には手に取るようにわかるのだろう。殊更に笑みを深くして、言った。