かくしごと

 突然の訪問者は、傍らに隣人を携えていた。連れていたのではない。携えていた。
「恵、ちょっといい?」
 若干の冷たさを帯びた五条の声。首根っこを掴まれたまま手を合わせ、目線だけで謝辞を伝えようとしている虎杖。それだけで、伏黒には五条の用件に察しがついた。
「……何ですか」
 読んでいた文庫を閉じ、平静を装って応えると、五条は一つため息をついて虎杖をその隣へと放りやった。
「『何ですか』じゃないよね。バレてないとでも思った?」
 潰れたカエルのような声を上げた虎杖には目もくれず、五条は伏黒の目の前で腰を落とす。不機嫌を隠さぬまま、続けて言った。
「そんなにべっとり着けてきて、僕にバレてないとホントに思ったの?」
「何の、話ですか」
 黒い目隠しを外してじっと見つめてくる眼光に耐えきれず、伏黒は視線を逸らした。その視界の端に、常にはない空気に困惑した様子の虎杖が映り込んで、なんとも居た堪れない気持ちになる。
「恵」
 伸びてきた腕が髪を掴んで、無理やり目線を合わされる。声も目も、珍しく怒りをはらんでいた。頭皮の痛みに顔を顰めても、力が緩むことも無い。
「……思って、ません」
 わずかに震える唇を開いて言えば、痛いほど髪を掴んでいた手がするりと離れる。なんとなしに目で追えば、その手はそのまま居心地悪そうにしている虎杖の頭に置かれ、明るい短髪を撫で始めた。しかし視線は、変わらず伏黒を射抜いたままだ。
「そうだよね。じゃあなんで僕に相談のひとつもなかったの。まさか合意とか言わないよね?」
「……合意です」
「ホントに?」
「はい」
「どこまで許したの」
「……それ、今言わなきゃ駄目ですか」
 伏黒はちらりと虎杖を見遣る。
「駄目だよ。悠仁だって関係者なんだから」
「や、俺は別に聞かなくてもだいたい知って――」
 空気が凍る、とはこの事なのだろう。一瞬時間が止まったかのように、三者は動きを止めた。否、言葉の意味を理解するのに時間を要した。
 己の失言に気づいた虎杖が「あっ」と小さく声を上げ、それを合図に五条は静かにその声の主へと顔を向ける。
 眼光の檻からにわかに開放された伏黒は、その後の話をどう進めるべきなのかを考えようとして、やめた。五条がこの後誰を断罪するのかは、火を見るよりも明らかだ。
「悠仁ちょっと、宿儺と代われる?」
「えっと……先生?」
「今すぐ代わってあいつ( ころ)すから」
「待ってそれ俺も死んじゃわない? 流石に今は嫌だよ? 大丈夫?」
 ジリジリと距離を詰められ壁際へと追い立てられた虎杖は、伏黒へ助けを乞うような視線を向けた。
 五条の機嫌は、伏黒が今まで見てきた中でも最高潮に近いほどに悪い。放っておけば、宿儺や虎杖どころかこの敷地ごと吹き飛びかねない。
 伏黒は虎杖に――正しくはその中にいる宿儺に明確な殺意を抱いた恩師の服の裾を掴み、言った。
「俺が勝手に、宿儺の暇つぶしに付き合ってるだけです」
 へえ、と、五条の口から漏れた音は、酷く冷たく鼓膜に響いた。
「内容は?」
「雑談とか……そ、添い寝……とか?」
「添い寝。添い寝ねぇ……。ほんとにそれだけで済んでるの?」
「別に何もされてません」
「じゃあさ、恵」
 再び伏黒の方へ向き直った五条は、伏黒の臀部へ手を伸ばす。布越しに的確に後孔へと指を添え、言った。
「ここに残ってるのは、何?」
「……そ、れは」
「さすがに腹ん中までは見えないけどさぁ、この辺についてるのは見えてるよ。だから最初に聞いたでしょ? バレてないと思った? って」
 五条が指先に力を込める。布地を巻き込んだ先端がほんの少しだけ潜り込んでくる感触に恵は息を呑んだ。
「――その程度のことで姦しい」
 苛立たしげに響いた声はその場にいる誰の声でもない。次いでぱちりと肌を叩く音。五条も伏黒も、その音の意味は理解している。
「慣らすのに俺のを使っただけだ。いきなり入れるやつがあるか」
 頬の口を塞がれ、改めて手の甲に現れたその口は、誰のことも気にせず言葉を続けていく。至極当然と言わんばかりの言いざまに、五条は一瞬納得しかけて、首を振った。
「それがダメだって話してんの。オマエ自分の残穢でどのくらいザコが集まってくるか理解してる? 迷惑被るのはこっちなの。毎日毎日べったべたにして、誰が世話してやってると思ってんの?」
 僕じゃないけど。と付け足された言葉に、伏黒は少しだけ罪悪感を覚えた。
「必要とあれば俺が出てやる。何なら小僧に手を貸してやってもいい。貴様に余計な口出しをされる謂れはないと思うが?」
「口出すに決まってんでしょ。大事な生徒の事なんだから」
「はっ、どうだかな」
 言葉だけで火花を散らす特級二人の間に入る覚悟が、伏黒には出来なかった。そもそも話題の中心が自分である事が不思議でならない。
「だいたいさあ、寝てる間に領域に引きずり込むって何なの? まだ悠仁の体使って夜這いしてましたって方がマシだったよ」
 生徒ふたりがぎくりと身を強ばらせたのを、五条は見逃さなかった。
「……まさかそれも済んでるの?」
「仕掛けたのは俺ではないがな」
 泊まりがけの任務で、寝ている虎杖の布団の中へと潜り込んだのは確かに伏黒の方だった。その後、虎杖と宿儺は伏黒の意志を尊重し、相談と譲歩の上で今の関係を維持している。
 その事のあらましを、示し合わせた訳では無いが揃って五条には黙っていた。
 青ざめて目を逸らす二人に、五条は大きくため息をついて、言った。
「一から全部包み隠さず説明して。あと宿儺はちょっと黙ってて」
 目隠しを戻し、五条はベッドに腰を下ろし、足を組む。
 虎杖と伏黒は指示されるまでもなく、五条の前に膝を揃えた。