宿伏ワンドロ:座敷牢

 乾いた火の粉が爆ぜる音。遠くから響く悲鳴。色々なものが焼かれた不快な煙と臭いに包まれて、宿儺はそこに立っていた。
 二対の眼に二対の腕。その見目だけで化物と謗られ、ただ一人住処を追われたのはいつだっだろうか。人ならざるものとして、どれほどの歳月を生きてきただろうか。故郷に対する慕情はないが、この辺境は退屈しのぎにちょうどよかったはずなのだ。
 しかし。
「飽いたな」
 毎年のように差し出される子供の肉は、栄養不足でやせ細り、骨ばかりだ。食うところもなければ美味くもない。だからといって側に置いておくにしても、まともな会話ができるだけの教育すらも受けていない。突き返そうにも道もわからないと言い出す始末で、最終的には面倒になった。
 使えぬおもちゃは焼き捨ててしまえばいい、と、火を放ったのは宿儺自身だ。轟々と燃え盛る炎の美しさに感嘆し、最後に辺りを散策しようと足を踏み出す。外れの方に、もう一つ建物があったはずだ。
「なにか良き物でもあればいいんだがな」
 ここへの期待はもうなにもない。誰も彼もが同じことを言い、同じ態度を取り、そして、同じような「贄」を用意してくる。
――自分はまだ、人ではあるというのに。

 延焼を免れた屋敷には、命がらがら逃げてきた人が数人、息も絶え絶えで横たわっていた。
 立地には似つかわしくないほどの豪奢な屋敷。家主は居なくなって久しいのか、所々が崩れ、汚れ、手入れがなされている様子はなかった。
 倒れ付した人の流れに沿って歩けば、地階へ続く階段があった。他の部屋よりは人の手の入った板張りに、何かあるのならこの先でしかないことは明瞭だ。
 階段は思いの外短かった。半地下のようなその部屋は、むき出しの土壁から発せられた湿気と、放たれた炎による熱気で空気が酷くベタついている。
 先にあるのは小さな座敷牢一つで、部屋を分断する格子だけが、新しく入れ替えられているようだ。その手前にはいくつかの遺体が積み上がっている。恐らく煙を吸ってここまで逃げ、そして事切れたのだろう。中には息のある者もいるのかもしれないが、宿儺はそれらに一切の興味を示さず、格子戸の前に立つ。
 牢の中。緋色の光が差す高窓を見上げる少年がいた。
「そこで何をしている」
 静かに声をかければ、彼はゆるりと振り返った。
 宿儺の姿を認めた彼は、表情の一つも崩さずに口を開く。
「明日、アンタのところに連れて行かれるはずだった」
「なるほど、贄か。趣向を変えたか?」
 翠色の瞳に黒い髪。細めではあるが均整の取れた体と、決して低いとは表せない背丈。これまで宿儺に寄越されてきた幼子とは異なる様相に、宿儺は愉しげに笑みをもらす。
 それをどう捉えたのか、彼は眉間に皺を寄せ、吐き捨てるように言った。
「この辺りにはもう俺くらいしかいなかったんだ」
「それなりに人は居たはずだが」
「金と権力がある奴はとっくに逃げた。アンタが食わされてたのは残り物だ」
「あんな貧相なもの、食う価値もない」
「……なら、あの子達は」
「さてな」
 どうなったんだ、と続く言葉を遮れば、彼はますます顔をしかめる。落ち着いた雰囲気とは裏腹に表情を変えるその様子を、宿儺は鼻を鳴らして一笑し、自分たちを分断している格子へと手を伸ばした。
 漆で塗り固められた角材を力任せにへし折って、開いた隙間に身をくぐらせる。落とした視線の端で、彼のつま先が僅かに逃げた。
 狭い室内、出入り口は一つ。逃げる道など何処にもない。一定の距離を保ちたかったのだろうが、彼の背はすぐに壁につきあたった。
「そう怯えるな」
 一対の腕を壁へと伸ばし、緊張に身を硬くする子供を腕の中へと閉じ込める。もう一対は、なおも気丈に振る舞おうと握られた両の拳へ添えるように、触れた。
「もっと早くオマエを差し出していれば、焼かれずに済んだものを」
 肌の感触を確かめるように、広く開いた袖口の中へと指を滑らせる。湿度か緊張か、あるいはその両方なのか、しっとりと汗ばんだ柔肌が宿儺の指先を愉しませた。
 擽ったさに見を捩りながらも、真っ直ぐ宿儺を見つめて口を開く。
「アンタが、やったのか」
 高窓から見えていた炎は勢いを失い始めていて、赤く染まっていた景色はすっかりとその色を落としている。
「そうだ。つまらんゴミばかり寄越してくるのに嫌気が差した」
 宿儺は応えながら、その手を奥へと進めていく。肩甲骨に触れたあたりで、合わせがはだけ、白い肩口があらわになった。
「俺はどうなる」
「死ぬのが怖いか?」
「いや」
 着崩れた衣装を気にも止めず、彼は宿儺の腕の中で、小さく首を振る。
 それから、消え入るような声で言った。
「ひとりになるほうが、こわい」