恋慕を拗らせ生まれた呪い。そいつは祓われる瞬間、雪崩るように呪力を溢れてさせてきた。色濃く拡がるそれを避けるために、足を引いたはずだった。
「ねぇ恵、その呪い受けてみてよ」
ここまで一切の口も手も出してこなかった保護者はそう言って、笑いながら俺の背中を押したのだ。
「――で、声が出なくなったって?」
呆れたような釘崎の言葉が教室に響く。明るい太陽に照らされた室内とは裏腹に、何故かひどく落ち込んでいる五条先生は小さく「そう……」と肯定した。
声が出ないだけで他の外傷はひとつもない。意志の疎通を図ろうと思えば筆談でもなんでも方法はあった。けれど、流石にあの暴挙に腹を立てた俺は、事態の説明の一切を先生に丸投げすることに決めた。
任務から戻ったのは朝方で、報告書やらなにやらを済ませて教室に来たのはちょうど昼時だった。帰路で購入したサンドイッチを食べながら、俺はただ三人の会話を聞いている。
「なにそれ先生のせいじゃん。伏黒にちゃんと謝った?」
(この人は謝んねぇぞ虎杖)
「謝ったけど口きいてくんない」
(俺アンタに謝られた記憶ねぇぞ)
「いや声出ないならしゃべれないっしょそりゃ」
(ごもっとも)
賑やかな場所で黙っているのは、妙な疎外感を感じるものなのだなと、他人事の様に思う。短くてもくだらなくても、その輪に入るために言葉というものは大切なのだと改めて思い知った。
「っていうかなんでそんな事したのよ。なんのメリットもないじゃない」
そう、釘崎のその疑問はここに来るまでにもう何人もの人が口にして、
「それがさぁ、解呪の条件が『好きな人の名前を呼ぶ』だったから」
「えっ、伏黒好きな人いんの?」
「僕じゃなかった……」
こうなるまでが、完全にセット販売状態だった。
「あと今高専にいる人で試してないの、悠仁と野薔薇だけなんだよね」
いけそう? と軽く話を振られ、俺は間髪入れずに首を横に振る。来た時点で試してはみたのだが、声帯は震えても音は出ず、空気が漏れ出ただけだった。
「好きな人って言うなら、本人が一番よくわかってるんじゃないの?」
「それも何回も確認したんだけど教えてくんないの」
教えないんじゃなくていねぇんだよ。と言いたいところではあるが、声は出ない。
そもそも恋愛の何たるかなんて、今までの人生で気にした事もなかった。
「恵の交友関係で僕が知らない人なんていないしなぁ」
「なにそれこっわ」
わかる。怖い。でもそれが事実だからなんとも言えない気持ちになる。
ほんとにいないの? 心当たりは? としつこく尋ねられ、その度に首を縦なり横なりに振り続ける。そもそも虎杖や釘崎と出会わなければ友人と呼べるほど親しい人間すらいなかったというのに、どこの誰にどうやって慕情を抱けと言うのか。
「他に方法はないの?」
「硝子はそのうち消えるって言ってたけど、式神喚べないの不便でしょ」
GTGとしては放っておけない、なんて諸悪の根源が何を言っているんだ。そもそもGTGってなんだよと思いつつ、サンドイッチの最後の一口をコーヒーで流し込む。
声が戻るまで、俺の任務は全部五条先生が肩代わりすると言う約束もさせてはいるし、最悪時間が経つのを待てばいい。
ゴミを片付けて一息ついて、ふと視線を上げたところで、なんとも微妙な顔をした虎杖と目があった。
眦から頬にかけてを手で覆ったその仕草は、つまり。
「俺を呼べ、伏黒恵」
顔を抑えた手の甲に現れた口が、言った。
その場にいる全員が思ったはずだ。ナイ、それだけはナイ。俺だってそう思った。
何をどう間違えれば、友人を殺し自分を死に際まで追い詰めたものを好きになると言うのか。
「アンタ男の趣味悪すぎない?」
「俺もそう思う」
結果から言えば声は戻った。宿儺の名を呼ぶことで。
宿儺の言葉に静まり返った室内で「まぁ試してみよっか」なんて軽い口調で焚き付けたのは五条先生で、虎杖は割と最後まで反対していた。釘崎は虎杖の頬やら手から文字通り口を出してくる宿儺にドン引きして、「キッショ」という言葉と共に俺の隣まで避難してきた。
試すだけなら、とこれまた軽い気持ちで開いた俺の口からは、かすれた音で「すくな」の三文字が漏れ出て、場の空気は凍りついた。
宿儺は嗤って姿を消して、虎杖と先生は頭を抱えて蹲った。だからだめだって言ったのに、絶対なにかの間違い、と繰り返しているのを見て、俺と釘崎はようやく平静を取り戻したのだ。
「恋バナする?」
「しねぇ……」
午後の始業を告げる鐘が鳴っても二人が立ち直らず、結局その日は早上がりになった。