宿伏ワンライ:毒

――変な夢とか見たら報告して。
 伏黒が五条にそう言われたのは、つい数時間前の話だ。帰り際に呼び止められて、最近どう? なんて曖昧な質問をして、頭の先からつま先までを六眼で観察した五条は、一瞬だけ考え込む仕草を見せてそう言った。
(変な、夢?)
 五条が言っていたのはこれだろうか、と、ふわふわとした頭で考える。
 あの後、自室に戻って本を読んでいた事までは覚えている。任務が続いて疲れが溜まっていた自覚はあった。ついでに、読み始めた本があまり好みではなかった。次第にウトウトとし始めてまぶたが落ちて、次に目を開けた先にあったのは、大きな何かの肋骨のような天井だった。
 仰向けに寝転がった状態で、奇妙な浮遊感に包まれており、それが水面に浮かんでいる事によるものだということを、肌に張り付く衣類の感触で自覚する。
 水位は低く、つま先は底に着いている。伏黒はゆっくりと身を起こし、辺りを見回した。
「どこだ、ここ」
「存外、早かったな」
 思わず漏れた独白に、思いもよらず返事がくる。声のした方に目を向ければ、そこには虎杖と同じ顔をして、和服をまとった男がいた。
(宿儺――)
 この男が現世には存在し得ない空間にいる。つまりこれは、宿儺の生得領域なのだろう。
 心臓を欠いた宿儺に真正面から挑んで叩きふせられたことを思い出し、身構える。
 しかし、伏黒が警戒心を顕にしていることを知りながらも、宿儺はのんびりと伏黒へと近づいた。
「俺に、何か用かよ」
「いいや、ただの暇つぶしだな。終わってしまったようだが」
「終わった……?」
「あぁ、気づいたのはあの術師か。あらかた消されてしまったな。――まぁ良い」
 暇つぶし、消された。なんの話だ。浮かんで来る疑問はいくつもあるというのに、正しい問を導き出せない。
「知りたいか?」
 口角を上げ、嫌味たらしい笑顔を向けてくる男を睨みつけ、伏黒は首を振った。どうせ、何を聞いてもはぐらかされて終いだろう。
 宿儺は静かに手をもたげ、伏黒の顎を擽った。
「内から侵されていた気分はどうだ?」
 低く、耳元で囁かれ、息を詰める。腹の底から例え難い何かが全身を巡り、汚染していく。自分自身が塗り替えられていくような錯覚に陥って、視界が揺らいだ。
 傾いだ体を抱き止めて、震えるその頭を撫でながら、宿儺は嗤う。
「さて、次は何を呑ませてやろうか。――いや」
 甘く響く声、慈しむような手付き。まるで愛おしいものに向けているかのようなそれに、伏黒は更に困惑した。
「愛でも呉れてやろうか、欲するだけ、いくらでも」
「いらねぇよ、そんなもん」
「そうか、欲しくなったらいつでも呼べ。好きなだけ愛でてやろう」
 稚拙な甘言だと、伏黒は思った。
 そんな甘言に乗っかるほど愚かではないのだとも。
「あんま人のこと馬鹿にすんなよ」
「そうだな」
 彼は呪いだ。呪いの王だ。己の快、不快以外に興味を持たない、人ならざる存在だ。
「伏黒恵」
 宿儺の手を振りはらい、立ち上がった伏黒に、宿儺はもう一度声をかける。
「俺はオマエを、」
 あいしているぞ。
 言って、宿儺は踵を返す。言われた言葉の意味を解せぬ間に景色は揺らぎ、掠れ、消えていった。

――この愛は、毒だ。