掃き溜めの鶴

 視認できないモノに嬲られるのはどういう気持ちなのだろう、と、直哉は目の前に横たわる男を見て思う。飼い慣らされた呪霊に彼を殺す意思は無く、ただ「飼い主」たちが満足するまでその身を文字通り弄ぶ。なんとも下劣で品のない、くだらない遊びを思いついたものだ。
 幾度となく腹部を殴打されたのか、吐瀉物でぬかるむ土を踏む。ペラペラの草履から伝わる感触はひどく不快で吐き気がした。
「甚爾君」
 色々なもので汚れきった頭部をつま先で軽く小突く。呼びかけても返事はなかったが、それがフリであることも、知っている。
「起きとんのやろ? 早う退いてくれん?」
「なんだ、バレてんのか」
「自分そんなヤワやないやろ。いいから退いてや。怪我するで」
 気管に入った体液を吐き出すように咳をこぼして、甚爾は半身を起こす。汚れた顔を乱雑に着物の裾で拭い、胡座をかいて背を丸めたまま、ふわりと中空へ視線を投げた。
「アレ祓いに来たのか」
 甚爾の視線の先、木陰からこちらの様子を伺っているのは禪院家の管轄にない呪霊だった。直哉は兄たちの話を聞いて、それを始末するために足を運んだのだ。
「見えとるん?」
「見えてるよ」
「いつから」
「さぁな。アレがいつものと違ぇってわかる程度には前からだ」
「なんで言わんの」
「言ってなんかあんのかよ。変わんねぇだろ、なんも」
 呪霊が見えるようになったところで、呪力がないことに変わりはない。呪具があれば祓えると言ったところで、貸与すら渋られるに決まっている。待遇も扱いも、結局何も変わらないのであれば、報告するだけ無駄、待遇改善の期待をしているなどと誤解でもされたらそれこそ厄介だ。
 甚爾は首を鳴らして息をつき、直哉の方へは目もくれずに言った。
「他に三匹、加減を知らねぇ初顔がいた。それもか」
「全部で四体、聞いてた通りやな」
 直哉は懐に手を入れて一本の脇差を取り出すと、それを甚爾の眼前に差し出す。
「これ、貸したるわ。いけるやろ?」
「勝手に使うとジジイどもがうるせぇだろ」
「俺の私物や。誰にも文句は言わせへん」
「対価は」
「一晩付きおうて」
「手伝ってやんのに更に要求すんのかよ」
「ちいとくらい(間違うても・・・・・)誤魔化したるで」
 天与呪縛で有り余る体力と、今までの鬱憤を晴らすのに丁度いいだろうと付与した提案に、甚爾は暫し逡巡し、答えた。
「乗った」
 差し出された武器を取り緩慢とした動作で立ち上がり、軽く背を伸ばす。視線は呪霊に向けたまま、五感を巡らせているのだろう。
「他の、どの辺おるか知っとる?」
「東の方にぶん投げた」
「ほんなら、俺はそっち行ってくるからアレ頼むわ」
「終わったら、どこに行けばいい」
「俺の部屋。通すように言うとく」
 了解の意を込めて甚爾が片腕を上げるのを確認して、直哉はくるりと踵を返した。

 紛れ込んだ雑魚の始末は思っていた通り、大した時間もかからなかった。術式を使うまでもない、通りすがりに指先一つで祓ってしまえるほどの低級だ。そんなものがどうしてここに入り込めたのかなんてことは、あえて考えない事にした。
(ほんまくだらんことばっか思いつきよる)
 そんな暇があるのなら鍛錬でもしていればいい、と直哉はいつまでもうだつの上がらぬ兄たちの姿を思い描き、胸中で毒づいた。
 家柄にも才にも不満はない。けれど、自分を取り巻くこの環境だけはひどく不快だと直哉は思う。
 苛立たしさに頭を掻いて、深くため息をついたところで、部屋のふすまが静かに開いた。甚爾だ。
 一度身を清めては来たのだろう、しっとりと濡れた髪から雫が落ちて、着物の肩を濡らしている。右手には預けた懐刀、左手には淡紫の風呂敷包みを持っている。
「なんやその荷物」
「着替えだよ。オマエ着たまますんの好きだろ」
「いつもはそんなもん持って来おへんやん」
「あー……」
 直哉の指摘に甚爾は言いよどんで、それからふわりと直哉の首に腕を回す。万が一にも外に漏れ聞こえないようにするためなのだろう。音量を抑えた声が鼓膜を震わせた。
「出てく」
「さよか」
 もともと近いうちにそうするつもりだったのだと続けられ、直哉はゆるりと天を仰ぐ。甚爾にとってこの家は、正しくゴミ溜めではあっただろう。今更まっとうに生きることなどできなくても、外のほうがマシだ。
「目の保養がなくなるんはちいとばかし淋しいな」
「なんだそれ」
 本音に近い言葉を漏らせば、甚爾は喉を鳴らして笑った。