冷たい熱

 髪を染めた。そこに他意はない。浴室に満ちた染髪料の臭いに顔を顰めながら、直哉はこの最近耳にした情報を反芻する。
(甚爾君が死んだ)
 正確に言えば殺された。あの五条悟に。
 その時の様子を知るものはおらず、遺体がどう処理されたのかも知らずじまいだ。
 得も言われぬ喪失感と高揚感に襲われて、ただ衝動的に髪を染めた。

 鼻を突く染髪料の臭いにも慣れた頃、夏油傑の離反を聞いた。顔を合わせた記憶はないが、()()五条悟と仲が良いと言う話は知っていた。彼を彼として形成していた他者が喪われていく様に胸がすくと同時に、妙な焦燥感が産まれた。
(まだ足らん)
 呪力も術式も十二分に恵まれてはいる。このまま今まで通りに生きているだけで、ある程度の地位も名誉も手に入れることは容易だろう。
 そんなことは、生まれた時から知っている。
「――オマエ何勝手に染めてんの」
 浴室を出た直哉を迎えたのはいつもの侍女ではなかった。
 戸口に背を預け、不遜な態度でこちらを見下ろす男の質問をあえて無視し、直哉は事も無げに言った。
「なんや、来とったん」
「何勝手に染めてんだよって聞いてんだけど」
「悟君の許可が必要とは知らんかったわ」
「いつ」
「悟君が甚爾君殺した後」
「へえ、そう」
 悟の声音が一つ落ち、湿気った床が軋む。
 おもむろに伸びてきた手が自分の髪を掴むのを、直哉は鏡越しに見た。

 白んだ意識を引き戻したのは、左の耳朶に走った痛みだった。
 次いで来たのは右のこめかみの鈍痛。右目のまぶたは貼り付いて、半分ほどしか開かなかった。
 上下に揺れる視界には脱衣所の天井と、眩しいくらいの白髪。感情の読めない冷ややかな表情とは裏腹に、下腹部を穿つそれは酷く熱を持っていた。
「……なにしとん」
「見りゃわかるだろ」
「あんま無茶苦茶せんといてや」
 その言葉を無視するように、悟は片手で直哉の頭を固定した。
 ばねの弾ける音と、先程と同じ鋭い痛み。そこでようやく穴を開けられたのだと理解した。
「オマエの穴狭すぎ」
 どっちの、と言いたくなるのを抑えて、直哉は己を組み敷く男の姿をぼんやりと眺める。
 強かに打ちつけられた頭も、穿たれた耳も、身体中のどこもかしこも熱いというのに、心だけはどこまでも冷えきっているのを自覚した。きっと相手の男もそうなのだろう。
「広げといてよ」
 耳もコッチも、と直腸を犯していた熱が無遠慮にその中身をぶちまけていく。
「あほぬかせ」
 萎えたそれが抜けていく不快感をやり過ごし、そう吐き捨てた。

 穴は広げてやらなかった。
 代わりに、ピアスの数は増やしてやった。