彼の者の傍に居ることを許された、唯一の存在。それが己を矜恃する事柄のひとつであった。それに恥じない力を。生き方を。所作を。そうして身につけていったものは数知れない。自分を構成するものの全てはそこに起因していると言っても過言ではなかった。
千年を経て、待ち続けた主の再来に心を躍らせたのはいつの頃だったか。急用を告げ離れたその背を見送ったのはいつだっただろう。
主の執心したものが、その世においては未成熟の童 であると知ったのは、いつだったか。
彼の目的は果たされた。それでも主はその少年を手放さなかった。傍に置かれる存在が自分の他にもう一人増えたのだという事実に、ほんの少しだけ不快を感じた。
「宿儺様」
淡い陽の光を浴びて白んだ障子越しに声をかける。中から人の動く気配と「入れ」と言う短い言葉が聞こえ、その戸を引いた。
やや不機嫌な顔をして、彼は帳台から顔を出した。気だるげに息をつき、寝乱れた着衣を整え、言う。
「昼からだったか」
「ええ。如何致しますか? 宿儺様でなくてもいい、とお伺いしておりますが」
「いい、俺が行く。お前はアレの世話を頼む」
「承知しました」
頭を垂れたその横を抜けるその姿は、記憶にあるものより幾分か小さく、少ない 。その身を作り上げたのは――この世界を作り直したのは、まだ帳台の中にいるであろうあの少年だ。それもまた、自分の中に多少の不快を生み出した要因ではあった。
「――恵様」
初めの頃は、なんと声をかけたものかと迷った。彼に対して敬意を払うようなことは何も無い。しかし、彼が主の寵児であることは理解している。ならば自分はどの立場として接するべきなのか。
延々と答えの出ない問題に頭を悩ませて、とりあえず客人としての礼節を貫くことに決めた。
「お目覚めですか?」
「はい」
「宿儺様は本日夕刻までご不在です。出立前に一度こちらに寄られるかとは思いますが」
「ああ……それで機嫌が悪かったのか」
気だるげに発せられた独り言とも思える声には応えず、箪笥から簡素な羽織をひとつと手拭いを取り出した。昨夜身に付けていたものはきっと、酷い有様で放られている事だろう。恐らくは、その身体も。
「湯の用意も致しましょう」
「すいません、ありがとうございます」
「いいえ。お気になさらず」
この少年は――伏黒恵は、屋敷の主の許可がなければ敷地を出ることすら許されない、言わば籠の中の鳥だ。
世界は作り替えられた。酷く歪な形のままで。