烏合の偶像

 鼓膜を震わせる歓声、怒号、罵声に悲鳴。生まれ出た感情が澱んで集まり、何かを形作っていく。足元にまとわりついてきたそれを踏み潰して、甚爾は手元の紙片を放り捨てた。
 水面に揺蕩うものは、漕手たちの生み出したものだろうか。客席のものと混ざりあって行く様は、酷く滑稽に見えた。
 鮮やかな夕日に照らされた景色は美しく、集客のために作られたポスターや看板は爽やかな水辺の色を映し出している。けれど、この場に留まるものはそんな綺麗ものばかりではないのだ。
「こんなとこ、来るやつの気が知れないよ」
 頭上から降ってきた声に、甚爾は視線のひとつも向けてやらぬまま口を開く。
「そうかよ。俺は好きだけどな」
「祓っても祓っても湧いてくる。良く長居なんてできるね」
「てめぇみたいなのが来ねぇし落ち着くんだよ。つーか何しに来た」
「仕事に決まってんでしょ。流石に未成年に任せられる場所じゃないからさぁ」
 言って、悟はなんの躊躇いもなくタブレットを甚爾に手渡す。映し出されているのはこの場所の詳細と、彼が請けた任務の内容についてだ。
「極秘事項とかじゃねぇのかこれ」
「もう終わるのに守秘する必要ないっしょ。今すぐ売ったって一円にもならないし」
 小難しい文言で記述されているそれは、要約すればこの場内に溜まり溜まった呪霊を一掃してくれ、と言うだけの事だった。
 形式ばかりが整えられた書面。さらりと流した中に見つけた名前にほんの少しだけ覚えがあった。明日になればすっかり忘れてしまうほどにどうでもいいものではあったけれど。
 甚爾は嘲笑うように口角を上げ、言った。
「御当主サマも大変だな。こんなシャバいモン回されて」
「これ請けた奴が突然連絡取れなくなったんだってさ。甚爾なんか知ってる?」
「――さぁ? 知らねぇなぁ」
 含んだ物言いをする悟にシラを切って、そこで話は終了だ。互いに深追いしないのはもう何年も続いている暗黙の了解だった。
 バックライトの消えたタブレットを甚爾の手元からさらい、悟はゆるりと天を仰ぐ。人の少なくなった建物を覆うように、じわりと帳が降りていくのが、甚爾の目にもぼんやりと見えた。
「丁度いいから手伝ってよ」
「必要ねぇだろ」
「これじゃなくてさ」
 悟の声に伝播するように風が凪ぐ。生まれて集まり、混ざり合うように形作られていた黒いものたちが、瞬きの間に霧散して消えていった。
「僕のストレス解消」
 降ろされたばかりの帳は言葉の合間に役目を終え、夜へと流れる空の色をあらわにして行く。
「晩飯はオマエの奢りな」
「もちろん。なんなら宿と朝食もつけるよ」
 すっかりと澄み切っしまった空気と半分以上を地平線に埋めた西日が、後光のように五条を照らした。